弁天町駅と弁天埠頭

「大阪惨状線と弁天町駅が出来るまで」とでも言った記述であるが、序でに書くと、関西本線は、天王寺~湊町間には今宮駅しかなかったが、天王寺~今宮間の、南海電車と交差するところに、新今宮駅が設置され、南海と大阪環状線が、直接乗り換えられるようになったのも、このときからである。弁天町駅が、大阪環状線では、一番新しい駅だというのは、こんな経緯からである。そして城東線や西成線といった名称は消え、大阪環状線に統一され、西九条から桜島までは、新たに桜島線となった。そして、ユニバーサ・スタジオ・ジャパンのオープンとともに、ユニバーサル・シティ駅が生まれ、今後の桜島から先を目指して、ゆめ咲線という名称に変わった。
他の乗換駅に比べて、乗降客が少ない「弁天町」駅。それでも出来たばかりのころは、瀬戸内海を旅行しようとする人たちなどで、大いに賑わったのである。というのも、大阪環状線全通の4年後、昭和40年(1965年)に、弁天町駅を最寄駅とする、弁天埠頭が、現在の弁天6丁目付近の安治川べりに、出来たのである。築港埠頭は風が強く、汽船の乗降にはふさわしくないということで、この新たな弁天埠頭が作られ、関西汽船の別府航路や、加藤汽船の高知行きの船などは、その弁天埠頭から出港した。
京都や奈良の人も、大阪環状線に最終的に乗って、弁天町までやってきて、埠頭までの500メートルを歩いたのである。しかし海運が次第に物流の中心からはずれ、旅行も、新幹線や飛行機が普通となって、弁天町の賑わいは、80年代末には去ってしまった。関西汽船の別府航路などは、便数を減らして、いまも存続しているが、南港のフェリーターミナル(住之江区)から出港している。