弁天町地域の栄枯盛衰 磯路付近

大正14年(1925年)に、「市岡パラダイス」という遊園地が、現在の磯路(磯路というのは、弁天から中央大通りを挟んで南側の地域)3丁目付近にオープンしていた。遊園地の中には、パラダイス劇場、屋内アイススケート場、北極館、浴場、映画館、池のあるスペース、遊園地に良くある高さ30メートルもの飛行塔などがあった。入場料大人30銭、子供15銭で、ファミリーで行ける、手軽な遊園地兼浴場もある歓楽地だったのである。
しかし、市電だけで移動する時代ではあったが、今のように交通の便はよくなく、入場者は当初から少なく、わずか5年で閉園となった。以後戦中までは、パラダイス劇場や映画館だけが残って、単独で営業をしていたが、大阪大空襲で焼け、パラダイス劇場だけは焼け残ったが、ジェーン台風後の盛土工事の際に、立て替えをあきらめ、消滅してしまったのである。跡地には、今は何も残っておらず、「オリックス・ドライビングスクール弁天町」という自動車学校が礎路3丁目にあるが、その近くと思われる。
この磯路3丁目には、消えたものとは逆に「育った名所」もある。それは磯路3丁目と言っても、2丁目よりの南北の街路の両側約500メートルに、ソメイヨシノやサトザクラなど、桜の木104本が植わっていて、春のその見事な咲きっぷりは、ちょっとしたもものである。「磯路桜通り」と名づけられている。一般の桜の名所には入っていないので、弁天町の穴場といえる。ただ桜を点景に入れたまま、しばし弁当を開けたりする場所はないので、ただ歩くだけなのが残念だが。この桜並木は、弁天町住民の要望で1968年(昭和43年)に植樹したもので、地元に「桜通り愛護会」を作り、世話をしている。1968年といえば、高度経済成長が野放図に進み、公害問題などが指摘され始めていたときで、植樹は時代の要請でもあったのだ。