弁天町地域の栄枯盛衰を支える地域活動

大阪環状線を、天王寺方面から外回りで進み、大正駅を出て尻無川を越えて港区に入り、弁天町に向けて右にカーブを切り始めたときに、カーブの内側にみなと通りに面して、立派な学校が見える。大阪府立市岡高等学校である。この公立高等学校は、今では普通の進学校でありトップ校ではないが、大変歴史の古い公立学校なのである。
市岡高校の前身は、公立の旧制中学で、1901年(明治34年)、大阪府の7番目の公立中学、大阪市内では北野、天王寺に続く、3番目の旧制中学として設立された。大阪の西地域の、近代教育の中心校として設立されたのである。当初から野球も強く、大正4年(1916年)の第2回全国中学校優勝野球大会(現在の夏の高校野球大会の前身)で、準優勝を遂げている。この伝統は、戦後にも続いていて、1987年(昭和62年)と1995年(平成7年)に、センバツでも、大阪代表に選ばれている。公立学校で、夏の大会に準優勝、センバツに二度出場というのは、そう多くない。
また市岡高校は、夜間教育の魁ともなった学校で、1933年(昭和8年)に、日本最初の夜間中学が併設され、働きながら高等教育(当時は、旧制中学は高等教育だった)を受けたい青年に、道を開いたのである。戦後、府立高校になっても、夜間高校はずっと併設され、府の教育委員会の方針が変わる1998年まで続いた。
市岡高校には、夜間の中学と高校の卒業生だけで作る同窓会、田龍会があって、田龍会が中心になったNPO法人、市岡国際教委協会が設立され、その後「在日外国人のための日本語学校」が開校され、市岡高校に併設されている。弁天町地域には、栄枯盛衰の傍らでこうした地域にふさわしい、地道な活動が続いている面もある。市岡旧制中学・新制高校出身の有名人には、小出楢重(画家)、直木三十五(直木賞のもとになった作家)、三好達治(詩人)ジェームズ三木(脚本家)らがいる。