弁天町「市岡新田」

市岡新田は、これらの新田の中で、港区の一番手前にあり、真っ先に、元禄の世に、上記のように開発されたのである。大阪環状線が、西九条駅を出て、安治川を渡り、弁天町駅を目指して左にカーブを切っていくとき、カーブの外側の高架の下に、小さな公園が見える。その公園を、波除(なみよけ)公園というが、波除公園の中に、「市岡新田会所跡」という碑は立っている。地権者は、会所に集まって、新田の運営について話し合ったのだ。
市岡新田は、最初はやはり農地として使われ、米、野菜、桑などが栽培されたが、特に西瓜と茄子が美味で評判で、市岡西瓜、市岡茄子として、当時のブランドになった。市岡西瓜は甘く「種まで真っ赤」などといわれたという。
この市岡新田会所跡の碑のそばには、小高い土盛りの塚のようなものがあり、これが波除山(なみよけやま)で、安治川の掘削で出た土砂を、盛り上げたものとされている。同じような土砂の山は、港区の先端、安治川の河口横にある、日本一低い山で有名な天保山もそうである。天保山は、波除山からは,3キロ以上も離れているが、瀬戸内海から大阪へやってきた船のために、灯台の役割をさせるため、長い距離を、わざわざ土砂を運んで、築いたとされている。市岡新田会所のあった波除公園は、港区で一番先に開けた市岡地域の、西北の端に当たる。そして今では、弁天という地名になり、弁天町駅も近くに出来、築港埠頭と双璧になる、汽船の乗降ができる弁天埠頭も、安治川ベリの弁天6丁目にあったが・・・。